父の日に思うこと
感謝を学び、実践している毎日を過ごしていた時に
一番大事な親への感謝を伝えていなかったことに気づいた私は
月に最低1度は顔を見にいって
一緒に食事をしたり話をすることで感謝を伝えていこうと、
できるだけ実家へ行くようにしました。
誕生日や父の日はもちろん
なんでもない日も
病気をしていてわがままに暮らしている父と
その面倒を見ていてストレスが溜まっているだろう母に
今までの感謝を伝えるためによく行きました。
でもね、それを始めた年の秋、あっけなく亡くなっちゃった。。。
父は中学の教師で、
かなりやんちゃをした先生だったようです。
今なら問題になってしまうようなことをしていたみたいだけど
その武勇伝を話すことは父の楽しみでもありました。
その頃の生徒たちは私が小さい頃から大人になるまで
ずっと遊びに来ていました。
今でも亡くなった後も交流がある人もいるんです。
実家が洪水で水害にあった時
仕事を休んでおじさんになった生徒たちが手伝いに来てくれたこともありました。
私が子どもの頃にも
中学生が遊びに来たりしていました。
私は厳しい父で嫌いでしたので
生徒たちが中学の教師の家に遊びに来るなんて信じられないことでした。
夏休みには庭にテントを張って泊まっていることもありました。
でも父はとても家庭を大事にする人だった。
家族旅行もなんども行きました。
早期退職して母と旅行に行くことや陶芸や畑仕事を楽しみにして
私の家族とドライブに行くことが大好きな父でした。
富良野のラベンダーを見に行って、
旭岳に登った時に、父の体力の衰えを感じたことを覚えています。。。
それでも私には怖い存在で、
孫たちが何をしても喜んで見ている父が不思議でもありました。
悠々自適な生活をしていましたが
年を取ってから病気になり、
学びの中で親に感謝を伝えていないと気づいたの。
実家に行っては話を聞いたり
ただ一緒に過ごしたり
そんな時間には限界があると思うことがあってから、
ことあるごとに感謝を言いながら
一緒に過ごす時間に思い出を話して楽しんでいました。
あまりにもあっけなく逝ってしまった父ですが
家族思いだった父の最期の優しさだった気がしています。
介護で迷惑をかけないように。
これから新しい治療が始まり、一週間後には退院、家での介護が始まると覚悟をしたあの日の夜
本当にあっけなかった。。。
だけど、
あの日から父はいつも心の中にいます
いつもいつも。
昨日は父が喜びそうなお菓子を買って実家へ。
お弁当も買って
母と一緒に食べながら
父の日を思って過ごして来ました。
死んでしまうことは悲しいことだけど
思い出は残ります。
まだまだ心の中には父がいるのです。
私の子どもたちの父、夫には
娘からは大好きな焼酎を、夕食にはポテサラを作ってくれました。
息子からは感謝のメールが来たそうです。
ご機嫌な夫を見ていて
私の父のことを書きたくなりました。
父は私の幸せな毎日を空から見ていて、きっと喜んでくれているはず。
おとうさん 私のお父さんでいてくれてありがとう。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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