ママだから、女性だから、という前に考えたいこと。
「あたしおかあさんだから」という歌が炎上しているとSNSで知り、聞いてみました。
歌詞も読んでみました。
走馬灯のように(笑)子育ての時代を思い出し、感じたものがあったけどね。
受け取り方はそれぞれでいいと思っているの。
それより大事なのは、
ママだからとかママだけど の前に女性であり人であるってこと。
数年前、ダライ・ラマ14世のお話を直接聞いたことがあります。
ゆっくり目の英語で訴えるように話してくれるのを通訳の女性が少しずつ訳して伝えてくれていました。英語はほとんどわからないけど、そんな私でもわかる言葉がありました。
「人は皆同じだよ。あなたも私も人として生まれてきた。だけど世間では二次的な違いを強調して差別をする。人は皆同じです」
そう言っていたはずです。。。
「人は皆同じ」
それがものすごく心に残ったんだよね。
通訳の方の表現ではなく英語で感じ取れたから余計に。
人を尊重するということは当たり前なんだけど
案外、上下関係や利害関係で尊重していない部分があったりしない?
私の周りの環境ではそれが多かったと思う。
男性からの上から目線で嫌気がさしたり、自尊心すら傷つけられていることが当たり前にような状態。自己受容自己肯定なんて持っていたとしても、周りからの上から目線に瞬間的に潰れてしまう、そんな環境が多かった。
それでも自尊心を保ちたいと思いつつも、もう自信なんかなくてね
自分の存在すら否定したことがあったゎ。
お姉ちゃんなんだからと押さえつけられて来た私。
ママだから、菅野さんの嫁だから、そう言われてそのように暮らして来た私が苦しんだこともあったけど、それらを経験して感じたことは
だからこそ私は私のままでいいし、尊重されない人は世の中にいないはず
そう思えるようになった。
そして世の中の誰もがその意味を持って生まれているのだから
人として存在していいということ。
女性だから男性だからという差別ではなくて
女性は女性なりに
男性は男性なりに
その違いを感じてうまく暮らすことが大事で
もう少し視点を変えてみたら
人としてその特徴をどう生かして暮らすか
そこを考えていけばいい関係が保てるんじゃないかと思っているの。
だから
思うように変わらない「何か」に立ち向かわずに
今ここでできることは何か
自分が置かれている環境で見つけられる立ち位置は何か
そう考えて互いを想いあって暮らせることが大切なんじゃないかなって
日頃から思うし、そんな考えをワークにして学んでもらっています。
置かれた環境の中でそこに満足しながらも前を向いて進んでいく柔軟性
そんなことが働き方改革なんていう大げさな仕組み改革を待つことよりも
今私たちがすぐに取り組める自己表現の多様性への受け止め方なんじゃないかと。。。
それがこのブログを読んで感じたこと。
→→→ さおりんのブログ
あ、映画「グレイテストショーマン」をみた時にも似たようなことを思った。。。
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